マジックの種について、「それを明かすことが良い事か悪い事か!?」という議論がなされています。マジックの種について聞かれたとき、僕は、「マジックの種は、リンゴの種のようなものだから、それを見せてもあまり意味がないんだ」と答えます。リンゴの種は、おいしいリンゴを作るのに必要なものですが、その樹の育て方が悪ければ、いくら美味しいリンゴの種であっても、美味しいリンゴには育ちません。大事なことは、種を明かすことではなく、その種をどんなふうに育てるかです。
 同じ種を使ったマジックが、演じるマジシャンによって、まったく違ったものに見えることは当然です。その人の力量はもちろん、マジシャンの持ち味や、見せる場所、色々なことが影響してそのマジックが面白く見える場合もあれば、退屈なマジックに見えてしまう場合だって少なくないんです。同じ種明かしの番組をやるなら、ひとつの種を使って、どんなバリエーションが作られるかを現象として見せるのも良いでしょうし、同じ現象でも、ちょっとした演じ方でまったく違って見えることに興味を抱いてもらうのもいいでしょう。
 たとえば、とても素敵な映画があったとしても、それを観た人が友達に話した場合、話し手によっては名作が駄作になってしまいます。いくら良いことを知っていても、それを表現することが下手であったら、その人は良いものを持っていないのとなんらかわりません。映画にかかわらず、色々な物事において同じことが言えます。その日の面白い出来事をうまく話せなかったら、人生は淋しいものになるでしょうし、良いものを良いと言えない人は営業関係や宣伝の仕事はもちろん、あらゆる企画を通すことが出来ないでしょう。いくら良いものを知っていたり、持っていたとしても、宝の持ち腐れです。
 「良いものを良い!」と伝えることが、いかに難しい事かを、「種あかし」というお話を通じて子供たちや大人達に教えてあげることも出来ます。手品を勉強して行けば、マジックの種よりもマジックの表現力に目が行くようになるはずです。そして、人生において、表現という問題がとても重要なんだということも解ってきます。そんな風に考えたら、子供たちにとって「種明かし」はとても教育的な意味にもなりますし、人生の成功、不成功を勉強するとても素敵な教材にもなると思いませんか。
 来年の春に、僕はある不思議な学校(中山千夏さんが校長)の講師を頼まれています。そこでは、多分、マジックの講師をすることなるでしょう。でも、マジックを教えるのではなく、マジックを通して、学校で教えてくれなかった大事なことを講義できたらなあと考えているんです。もちろん、それが可能だと思うからこそ、その仕事を引き受けました。ただし、学校の存在が実現するかどうかは、今のところ50%です。実現する暁には、このホームページでいち早くお知らせします。
 そして、僕は、マジック界の大御所や関係者の方に、「テレビで、種明かしの番組を放映することの善し悪し」を談じたり、テレビ局に抗議をするのではなく、マジックの番組を増やすべくもっと運動し、努力して頂きたいと思っています。同じ労力を使うのなら、そちらの方がずっと有効ですし、マジック界においては必要なことです。そして、種明かしをするかしないかではなく、マジックの面白さをどう視聴者や製作者側に理解してもらうかに、もっと真剣に努力すべきだと思います。
 マジックは、素晴らしいエンターティンメントのひとつです。にもかかわらず、現在のところ日本のマジックは衰退の一途を歩んでいます。東京だけを考えても、マジシャンの活躍の場がひとつひとつと消えて行っています。その中で、自分のギャラのことだけ執拗に主張し、個人の営利だけにとらわれ過ぎているマジシャンの方もいます。マジック界で生きるのであれば、プロであろうとアマであろうと、時にはマジック界のあり方、今後の発展について無償で話合いをすべきでしょうし、進んで、そうした場に参加する必要もあるでしょう。マジックの好きな人が、みんなで大事にして行かなければならないマジック界なんです。
 もう一度言うと、大事なことは、種明かし番組に抗議することではなく、より素敵なマジックの番組を作ることに努力することです。民法はともかくとして、NHKやBSなら、まだまだ番組制作の可能性は残っています。日本奇術協会の幹部の方々は、どうぞNHKに交渉の出来る人を毎日のように送り込んで下さい。
 また、一人でも多くのプロマジシャンやアマチュアが、一人でも多くの人にマジックの素晴らしさを伝える手だてを考え、努力することです。「プリンあらモード会」は、わずかでも機会があるかぎり、そうしたマジック界の発展に対してお手伝いが出来ればと考えています。
 いつか、素敵な種明かしの番組が作られることを望んでやみません。戻る